On Multiple Realities

いろいろ書きます

Otaka Workshop on June 16, 2023

English version added below (updated: 19 June, 2023)
 
Peter Lang社より、Tomoo Otaka: Foundation of a Theory of Social Association, 1932が刊行される。日本の法哲学者・社会理論家、尾高朝雄(1899-1956)の単著Grundlegung der Lehre vom sozialen Verband (1932, Verlag von Julius Springer) の英訳が主な収録内容だ。編訳者はイースト・ロンドン大学名誉教授のデレク・ロビンズ(Derek Robbins)である。

www.peterlang.com

 
本書のBook Launch Workshopとして、2023年6月16日にイースト・ロンドン大学ストラトフォードキャンパスにて研究会が開催された。以下ではこの研究会の様子を報告する(以下敬称略)。
研究会の報告者は、デレク・ロビンズ(Derek Robbins)、フランチェスコ・カンパニョーラ(Francesco Campagnola、リスボン大学))、ヴォルフガング・シュヴェントカー(Wolfgang Schwentker、大阪大学名誉教授)、森川剛光(Takemitsu Morikawa、慶應義塾大学)、高艸賢(Ken Takakusa、千葉大学)の5人であった。本書には、Grundlegungの翻訳のほかに、編訳者によるイントロダクションと、4人の研究者による尾高に関する論稿が収録されている。研究会ではこれらの執筆者5人が、それぞれの論稿に基づいて報告を行った。
 
デレク・ロビンズは、尾高のGrundlegungの内容を紹介したうえで、ブルデュー研究者の観点からその論評を行った。ロビンズはThe Bourdieu Paradigm: The Origins and Evolution of an Intellectual Social Projectという本を2019年に出版しており、同書でアルフレッド・シュッツとアーロン・グールヴィッチの現象学を検討したことが、ロビンズの尾高への関心の基礎をなしている。また、ロビンズは国際的な思想の移動(international transfer of ideas)という観点から、尾高を戦前期にドイツ語で著書を刊行した日本人という希少な事例としても検討している。
フランチェスコ・カンパニョーラによる報告は、尾高の留学を取り巻く戦間期日本の経済的・社会的コンテクストを思想史的に扱った。第一次世界大戦を契機とする日本の国際政治的位置の変動や、ドイツのハイパーインフレなどを背景に、戦間期には多くの学者がアカデミックな目的でドイツ語圏に留学した。この動きからカンパニョーラは、西洋のエキゾチックな研究対象としてではなくアカデミズムの能動的な主体として、戦間期日本の思想を描き出そうとしている。
ヴォルフガング・シュヴェントカーによる報告は、尾高のGrundlegungに対してドイツ語圏で書かれた5つの書評を検討した。書評が書かれたということ自体、尾高の1932年の著書が刊行されただけでなくそれに対する西洋側での応答を引き出したという点で、重要である。加えて、書評がさまざまなディシプリンにまたがる広がりを持っていたことも、尾高の学際性を考える上で重要である。
森川剛光による報告は、尾高の批判の宛先のひとつであるハンス・ケルゼンとの関係で尾高の理論を検討した。尾高とケルゼンの法に対する立場の違いは、法を「法の外側」との関係で見るか、「法の外側」とは独立の自律した体系として見るかの違いであった。このことから森川は、尾高をコミュニタリアン的な思想家として再解釈しているが、同時に尾高のKörpershaft(本書ではcooperationと訳されている)という概念が行き着いた思想の危険性にも言及している。
私(高艸賢)の報告は、尾高とアルフレッド・シュッツの理論的比較を行った。尾高はヨーロッパ留学時代にシュッツと出会い、親交を結んだ。ふたりは、1932年という同じ年に同じ出版社から著書を刊行した。尾高とシュッツはともに社会科学の哲学的・現象学的基礎づけに関心を持っていたが、彼らの立場がどのくらい近いのかについては、さまざまな見解がありうる。私の報告では、尾高に対するシュッツの書評を検討し、両者が「同じ主題を別の視点から見ている」ことを論じた。
 
以上の5人の報告者に加えて、3人の討論者(Sam Whimster, William Outhwaite, Simon Susen)が参加して、意見交換を行った。議論の詳細な内容は割愛するが、議論では以下のようなトピックが扱われた。
  • 1932年の著書とその後の著作の関係
  • 学際的な学者としての尾高
  • 尾高と京都学派との関係
  • 尾高の思想と神道との関係
  • 尾高と宮澤俊義の論争
  • 1930年代後半からの尾高の著作と戦争という状況との関係
  • 尾高のウェーバー批判についての議論
  • 尾高のネオ・ヘーゲリアン的側面
 

研究会を通じて、未だ汲み尽くされていない尾高の思想の主題的広がりが確認された。その広がりが示唆する方向性は、尾高個人の研究というよりは、尾高をひとつの準拠点とする知の生産の研究(思想史・歴史社会学の対象としての尾高)と、当時の思想の批判的吟味(哲学・社会理論の対象としての尾高)という、相互に関係する2つの方向性であるように思われる。本書Tomoo Otaka: Foundation of a Theory of Social Association, 1932は、そうした今後の研究の展開可能性を予感させるものとなっている。

 

[English version]

Peter Lang will publish Tomoo Otaka: Foundation of a Theory of Social Association, 1932. The book contains an English translation of Grundlegung der Lehre vom sozialen Verband (1932, Verlag von Julius Springer) by Tomoo Otaka (1899-1956), a Japanese legal philosopher and social theorist. The editor and translator is Derek Robbins, professor emeritus at the University of East London.
  
The Book Launch Workshop for this book was held on June 16, 2023 at the Stratford Campus of the University of East London. The following is a report on this workshop.
The presenters were Derek Robbins, Francesco Campagnola (University of Lisbon), Wolfgang Schwentker (Professor Emeritus, Osaka University), Takemitsu Morikawa (Keio University), and Ken Takakusa (Chiba University). The introduction by the translator and four articles by these researchers are included in this volume. The authors presented their papers at the workshop.

Derek Robbins introduced the contents of Otaka's Grundlegung and then commented on it from the perspective of a Bourdieu scholar. In 2019, Robbins published The Bourdieu Paradigm: The Origins and Evolution of an Intellectual Social Project, in which he examined the phenomenology of Alfred Schutz and Aron Gurvitch. This provides the basis of Robbins’s interest in Otaka. Robbins also considers Otaka, a prewar Japanese thinker who published in German, as a rare example of the international transfer of ideas.

Francesco Campagnola's paper historically dealt with the economic and social context of interwar Japan that surrounded Otaka's study abroad. Against the background of Japan's shifting international political position after the World War I and the hyperinflation in Germany, many Japanese scholars studied in German-speaking countries for academic purposes during the interwar period. From this movement, Campagnola attempts to consider interwar Japanese thought as an active academic subject, rather than as an exotic research object in the West.

Wolfgang Schwentker’s paper examined five book reviews written in German-speaking contexts in response to Otaka's Grundlegung. The fact that the reviews were written is significant in itself, as it means that Otaka’s book elicited responses on the part of Western scholars. In addition, the fact that the book review ranged across various disciplines is also important in considering the interdisciplinarity of Otaka's work.

Takemitsu Morikawa‘s paper examined Otaka's theory in relation to Hans Kelsen, one of the theorists Otaka criticized. The difference between Otaka's and Kelsen's standpoints on law was the difference between viewing law in relation to "outside law" and viewing law as an autonomous system independent of "outside law.” From this, Morikawa reinterprets Otaka as a communitarian thinker, but at the same time, he mentions the danger of the idea that Otaka's concept of Körpershaft (translated as cooperation in this book) has ended up in.

My (Ken Takakusa’s) paper made a theoretical comparison between Otaka and Alfred Schutz. Otaka met Schutz when he was studying in Europe, and they formed a friendship. They both published books in the same year, 1932, by the same publisher. Both Otaka and Schutz were interested in the philosophical-phenomenological foundation of the social sciences, but there have been various views as to how close their positions were. In my paper, I examined Schutz's book review of Otaka and argued that they both "looked at the same subject from different perspectives.”
 
In addition to these five presenters, three discussants (Sam Whimster, William Outhwaite, and Simon Susen) participated in the discussion. While the details of the discussion are beyond the scope of this report, the following topics were addressed in the discussion.

  • The relationship between his 1932 book and his subsequent writings
  • Otaka as an interdisciplinary scholar
  • The relationship between Otaka and the Kyoto School
  • The relationship between Otaka's thought and Shintoism
  • The Debate between Otaka and Toshiyoshi Miyazawa
  • The Relationship between Otaka's Writings and the Situation of War from the Late 1930s
  • Discussion on Otaka's Criticism of Weber
  • Otaka’s Neo-Hegelian aspects  

The workshop confirmed the thematic variety of Otaka's thought that has yet to be fully explored. This seems to suggest two interrelated directions: research on the production of knowledge using Otaka as a reference point (Otaka as an object of history of ideas and historical sociology) and critical examination of the ideas of the time (Otaka as an object of philosophy and social theory). This book, Tomoo Otaka: Foundation of a Theory of Social Association, 1932, foreshadows the possibilities for the future development of such research.

St. Gallen Week 3-6

さぼりにさぼって3週間以上空いてしまった。少し疲れているので箇条書きで。

 

Week 3

・収集した論文を読み進めた。

・木曜日にThomas Eberle氏と面会。彼はここの大学の名誉教授で、私が最初にコンタクトを取った人物。1時間ほど研究について話をし、新刊情報なども仕入れたが、自分の研究についてはうまく説明できずに終了。ちょっとがっかり。

 

Week 4

・晴れている日を見つけてマイエンフェルト(Maienfeld)へ出かけた。ザンクト・ガレンからは電車で1時間半程度。マイエンフェルトは「アルプスの少女ハイジ」の舞台となった場所として知られており、日本人の観光客も多く訪れている。軽くハイキングするだけのつもりが、いつの間にか長い方のハイキングコースに入っており、最終的にハイキングコースの終点にある標高1111mの山小屋でご飯を食べた。往復4時間のハイキングとなった。

・スーパーで米を買ってきたので鍋を使って炊こうとしたのだが、大失敗。共用の鍋を思いっきり焦がしてしまい、いくら洗っても落ちない。重曹を買ってきて念入りに掃除したが、7割くらいしか焦げが落ちない。結局スーパーで買ってきた代わりの鍋を献上した。正直、この家のコンロは自分の家のコンロよりもかなり火が強く、料理するにはかなり使いにくい。

・自炊が全くうまくいかないので心が折れかけていたが、コンソメを買ってきて作ったポトフだけはうまくいった。この家のコンロには強火と超強火しか存在しないので、火加減の細やかな調節が必要な料理は作れないらしい。逆に、適当に具材を切って煮るだけのいい加減な料理は作りやすい。

 

Week 5

・週末に1泊2日でベルン(Bern)に出かけた。ベルンは中央スイスの都市で政治の中心地。旧市街が世界遺産になっている。スイス連邦には首都というものが存在しないが、ここが「いわゆる首都」ということになっている。ド真ん中なだけあって、多くの看板にはドイツ語とフランス語が両方書かれている。街中ではフランス語を話している人が結構いた。

・ベルン2日目、帰る前にインターラーケン(Interlaken)にまで足をのばした。インターラーケンはトゥーン湖とブリエンツ湖の間(Inter)に位置する小さな町で、アルプス方面に向かう人の拠点になっている。町の印象は「ザ・観光地」。山の方からパラシュートで飛んできた人が、中央広場の芝生の上にたくさん着地していた。インターラーケンから2時間ほど行くとユングフラウヨッホ駅に着く。ユングフラウはアルプスの有名な山だが、ユングフラウヨッホのほうは普通に電車に乗っていればいける。ヨーロッパ最高地点の駅で、行ってみたかったのだが今回は断念。

 

Week 6

・月曜日:コンスタンツ大学を訪問。昼頃にJeff Kochan氏と面会。彼はハイデガー哲学・科学哲学・科学知識の社会学が専門で、特に「科学の解釈学」の分野に詳しい。今回の滞在での自分のテーマが「社会科学認識論における現象学と解釈学の意義」といった感じなので、いろいろと勉強になった。そのあと午後は社会科学アーカイブを訪問し、Jochen Dreher氏と面会。自分の研究についてコメントをもらった。ついでにアーカイブ所蔵の資料をいくつかコピーして持ち帰った。トーマス・ルックマンの既刊の論文なのだが、かなり手に入りづらいものだったので貴重だ(内容的に貴重かどうかはまだ読んでないのでわからないが…)。

・火曜日:ザンクト・ガレンの街中で博士課程の院生と面会。5月にシュッツサークルで一度会っている人。最近はなかなか研究の時間がとれず大変なようだった。

・土曜日:ザンクト・ガレンにて、日本語を勉強中というスイス人と面会。今回は自分が日本語の練習相手という形になったが、タンデムしてもらえるならありがたい。

 

というわけで今週がかなり多忙でちょっと疲れている。

St. Gallen Week 2

登録完了

大学のほうの登録も完了し、アカウントが発行された。これでeduroamが使えるようになり、図書館と大学関係施設ではだいたいネットがつながるようになった。
また、大学のアカウントを使って本を取り寄せることもできるようだ。チューリッヒから取り寄せる必要のある本が1冊あるので、近々使ってみようと思う。

 

所属機関について

所属機関の正式名称はSeminar für Soziologie, School of Humanities and Social Sciencesとなっている。School of Humanities and Social Sciences (SHSS)には社会学言語学政治学・地域研究などが含まれており、同じフロアにまとめられている。なので、オフィスで顔を合わせる人はほとんどが他の専門領域の研究者だ。
いつも隣の席で作業をしている人はロシア出身で、政治学が専門らしい。

ザンクト・ガレン大学には社会学を研究している人はあまり多くない。ビジネススクールとして有名な大学なので、経営学方面の学生が多く、授業もそれらの領域の学生を相手に社会学を教えるという形になることが多いようである。社会学ということであればコンスタンツ大学やチューリッヒ大学のほうが規模が大きいので、そちらに行く人が多いようである。

ちなみにUniversität St.Gallenの略称として使われるのはHSGである。これはHandels-Hochschule St.Gallenの略称らしい。https://www.unisg.ch/en/universitaet/arbeitenanderhsg/hsgalsarbeitgeberin/einortderwissenschafft


そのようなわけで、日本の大学で想定されるような「社会学のゼミ」とか「社会学の研究会」のようなものは基本的に開かれていない。研究について議論したり研究発表したりする機会が定期的に与えられているわけではないので、自分からアポイントをとるなどしてやっていく必要がありそうだ。ドイツ語圏の大学のゼミの雰囲気というのも知りたかったが、無いものは致し方ない。

 

なお、所属している研究者の一覧はここで見られる。
https://www.unisg.ch/de/universitaet/schools/humanities-and-social-sciences/ueber-shss-fachbereiche-personen/soziologie/mitarbeitende?current=1

 

週末

2週目の週末はオフィスで作業した。ドイツ語圏なので基本的に日曜日に仕事をしている人はいない。オフィスに行っても誰もいないだろう…と思ったのだが、隣の机のロシア人が来ていて論文を書いていた。週明けが締め切りだからとのこと。
それ以外にも同じフロアに1人か2人ほどいるのを見かけた。研究者がハードワークなのはどこに行っても変わらないらしい。

St. Gallen Week 1_2

2日目 10月5日(金)

オフィスに行き、Mitarbeiterinに挨拶した。オフィスではデスクトップパソコンとコピースキャナ複合機が利用可能。基本的にここを使っているのは博士課程をしながら研究所の事務的な仕事をしている人、もしくはポスドクの人のようである。
オフィスにはキッチンがあり、コーヒーメーカーは1杯50セントという決まりになっている。比較的新しい建物なので、外装も内装も綺麗。

また、大学の図書館の登録をしたのでさっそく本を借りてみた。実は入館のためにカード等は必要ないので、行けば誰でも入れてしまう。ザンクト・ガレン大学はビジネススクールとして有名な大学なので、開架の手近な場所には経済学・経営学・法学系の本が置かれており、社会学や哲学の本は地下の書庫みたいなところに置かれている。ぱっと見た感じ、あんまり本が無さそうに見えるのだが、社会学系の本は閉架書庫にたくさんある。

大学図書館のページの検索窓では、本・雑誌論文・編著本収録論文がすべて一括で検索できるようになっているので、スイスに用のない人にとっても便利だと思う。

https://www.unisg.ch/de/universitaet/bibliothek

 

また、公共図書館も含めてスイスの図書館にどんな本があるかを調べたい方はこちらをどうぞ。

https://www.swissbib.ch

 

週末

土曜はオフィスには行かず、駅の近くの公共図書館で過ごした。街中の施設やお店は、平日だと19時、土曜だと17時までにだいたい閉まってしまう。マクドナルドだけは深夜まで営業しているが、コーヒー1杯で350円とか400円とかするので基本的に行かない。
日曜は家から一歩も外に出ず過ごした。同じアパートに住んでいる2人は週末家にいなかったので、誰とも会話することなく終了。ひたすらテレビを見たり文献を読んだりしていた。ドイツ語の番組でも、字幕をつければ理解できるものもある。

St.Gallen Week 1

学振の「若手研究者交流事業」というプログラムで、スイスのザンクト・ガレン大学(The Univerisity of St.Gallen)に来ている。対象者が学振特別研究員のみで、渡航先もスイスかインドに限定されている特殊なプログラム。渡航期間は3ヶ月〜6ヶ月と短めなのが特徴。

僕の滞在期間は3ヶ月なので、12月末には帰国するのだが、せっかくなので多少なりとも記録を残しておこうと思う。到着したのは10月3日(水)なので、これをさしあたりWeek1として、以後なるべくこまめに更新していきたい。

参考URL:若手研究者交流事業について↓

海外派遣支援 | 特別研究員|日本学術振興会

 

出国〜滞在先に着くまで

日本時間10月3日10時10分成田発のフライト。朝の成田エクスプレスで空港に向かう。ホームで待っていると、東南アジア系と思しき人から声をかけられ、「成田空港に行くにはここでいいのか?」と尋ねられた。念のためと思って切符を持っているか確認すると、案の定在来線の切符だけだった。成田エクスプレスは全席指定であることを説明して切符を買いに行ってもらった。(reservedという言葉が出てこなかったのは恥ずかしかった)
人助けも無事済んだので後は乗るだけ……だったのだが、いきなりここでやらかした。なんと乗車位置を勘違いし、予約した列車が行ってしまったのである。どうやら長い車両の場合と短い車両の場合で乗車位置が違ったようなのだが、完全に見落としていた。
慌ててホームにいる駅員にどうすればいいか聞くと、「救済措置として、次の成田エクスプレスで空いてる席に座っていいことにします」とのこと。助かった。幸い、わりと空いていたので、車内では1回席を移動するだけで済んだ。

空港に着いてからは諸々スムーズに手続きが済み、ほどなくして搭乗した。なお飛行機はSwiss International Air Linesの直行便で、ルフトハンザのページで予約して往復17万円ほどだった。前日に4時間弱しか寝ていなかったので、ウトウトしているうちにすぐに離陸してしまった。(準備段階でバタバタしたりトラブルが発生したりもしており、正直これが一番しんどかったのだが、これについては後日触れる。)

 

現地時間の15時頃、チューリッヒ空港に到着。12時間のフライトだった。
Controlのところは「客員研究員としてザンクト・ガレン大学を訪れる」とだけ言ってパス。荷物を受け取ってすぐに受入研究者にメールし、到着時刻を連絡。
チューリッヒ空港内はそれなりに広いが、電車に乗るだけなら迷う余地はあまりない。5月に国際シュッツサークル(@コンスタンツ大学)に参加した時にも使ったので、特に問題はなかった。
17時35分頃、ザンクト・ガレン駅に到着。チューリッヒ空港からは電車で1時間弱。なぜか時刻表より10分以上早く着いたのだが、そういうものなのだろうか。駅で受入研究者のFlorian Elliker氏と落ち合い、スーパーの使い方やバスの乗り方を教えてもらった。

バスを降りてから滞在先の建物を見つけるところまではすんなり行った。事前にグーグルマップで見ていた通りの大きな建物で、バス通り沿いなので分かりやすい。が、肝心の建物の中に入れず困った。インターホンを押しても誰も出ない。家主に電話をかけても通じない。時刻は午後7時前で、そろそろ暗くなろうかという頃合いである。行く前から若干懸念があったので、Florianには「困ったら電話して」とは言われていた。さてどうしたものか…

と思案している所で、中年男性がドアを開けてくれた。聞くと、滞在先の家の住人だとのこと。この家には僕を含めて3人が滞在している。家主は別のところに住んでいるらしい(未だに会ったことはない)。僕の部屋は屋根裏部屋のような仕様のところで、ベッド周りなどで少しセッティングが必要だったがなんとか快適に寝られる環境は整えられた。

 

1日目・オフィスと大学と図書館を訪問

8時頃起きて11時半前に出発。滞在初日はFlorianにオフィスと大学と図書館を案内してもらった。
オフィスは比較的最近できた小綺麗な建物で、僕の作業スペースとして共有の机のある部屋が割り当てられた。6個ある机のうち、2つは専用デスクを持っている院生のもので、1つは荷物置きになっているので、共有になっている利用可能な机は3つ。

ザンクト・ガレン大学には社会学部はなく、僕やFlorianの所属機関はThe School of Humanities and Social Sciences(SHSS)という名称である。オフィス7階がSHSSのフロアになっている。


オフィスが街中にあるのに対し、大学は丘の上にある。歩いて行ったが結構しんどい。5月にも来て案内してもらったので2度目になるが、前回来た時も大学まで上がるだけで息が切れた。Florianは良い運動だと言っていたが、僕は良い運動の域を超えてると思った。
大学の食堂と図書館を周った後、市内で少し寄り道をしてから、駅前の図書館に向かった。Kantonsbibliothekと呼ばれる公立図書館で、勉強スペースが充実しているだけでなく、カフェが併設されている。この日は夕方まで図書館で論文を読んで帰宅。

 


今日はここまで。なんだかただのスイス滞在記になりそうな雰囲気を醸し出している…。

Week1の続きはそのうち書きます。

CiNii Articlesで学術誌を検索できるようにするにはどうすればいいのか

人文・社会科学系の研究者にとって、CiNii Articlesは日本語で書かれたたいていの論文が検索できる便利なツールである。しかし、いかにしてこの網羅的なデータベースが構築されているかについて、知っている人は多くないだろう。かく言う私もアーカイブやデータベースの構築メカニズムに関してはほとんど知らない。

今回、私は訳あって、CiNii Articlesで学術誌を検索できるようにするにはどうすればいいのかを調べることになった。そこで調べてわかったことを以下に記録しておく。

 

1 国会図書館の「雑誌記事索引データベース」によってCiNiiでの検索が可能になっている

まず、CiNii Articlesの収録データベースだが、これはサイトに一覧がある。

CiNii Articles - CiNii Articles について - 収録データベース一覧 - サポート - 学術コンテンツサービス - 国立情報学研究所

この中で、人文・社会科学系に主として関係するのは、国立国会図書館の「雑誌記事索引データベース」である。

国立国会図書館が収集する国内刊行の雑誌のうち、学術誌・大学紀要・専門誌を中心として、人文・社会/科学・技術/医学・薬学と、あらゆる分野の記事に関するデータを収録した国内最大の記事索引データベースです。

とのことである。したがって、人文・社会科学系の論文は、「刊行→国会図書館に寄贈→雑誌記事索引データベースに登録→CiNiiに登録」という流れになっているようである。

さて、この「雑誌記事索引データベース」であるが、採録の基準は次のようになっている。(http://www.ndl.go.jp/jp/data/sakuin/index.html#journal) 

以下に該当する雑誌を採録誌とする。
(1)学術雑誌(学術研究論文が掲載されている雑誌)
(2)専門誌(特定の分野・業界に関する情報・解説・紹介・評論・考察等を掲載している雑誌)
(3)(1)、(2)に該当しない機関誌(政党・労働組合非営利団体・各種協会等の団体が、自らの政策や活動内容、意見及び関連事項を掲載しているもの)
(4)一般総合誌(一般誌のうち、論壇誌等多彩な内容を取り扱い非限定的な読者を想定しているもの)

要するに、学術雑誌に掲載されている論文であれば基本的に再録することになっている。「雑誌記事索引データベース」に登録された論文・記事は、「国会図書館オンライン」から検索できるようになる。この情報をCiNiiが収集することで、CiNii Articlesのデータベースは網羅的になっている。

 

2 採録誌を追加したい

さて、ここまでであればなんということはない一般的な情報である。しかし私が直面していたのは、「ある雑誌の論文を検索したいのに、その雑誌の論文データが丸ごと欠落している」という事態であった。

具体的には、『社会学史研究』という雑誌である。その名の通り、日本社会学史学会が刊行している学術雑誌である(もちろん査読有り)。上記の採録基準からすれば、当然国会図書館雑誌記事索引データベースに入っているべき雑誌である。

まず考えられる可能性としては、雑誌を国会図書館に寄贈していなかったという可能性があった。しかし国会図書館にはきちんと所蔵されており、これに関しては何の問題もなかった。

 

原因がわからないため、国会図書館に問い合わせてみることにした。

採録誌に関する問い合わせは、以下のフォームから可能である。問い合わせ内容の選択肢の中に、「書誌データの訂正に関すること(雑誌記事索引)、採録誌に関すること」とある。

お問い合わせ | 国立国会図書館-National Diet Library

 

問い合わせてすぐに、「国立国会図書館 収集書誌部 逐次刊行物・特別資料課」というところからメールで返信が来た。曰く、

採録誌検討会は定期的に開催している

・当該雑誌の採録可否については、5月頃に通知する(問い合わせをしたのは3月初旬)

とのことだった。

これで『社会学史研究』もCiNiiで検索できるようになる……と思ったのも束の間、メールの最後にこんなことが書いてあった。

なお、採録誌とさせていただくことになった場合、繁忙状況に鑑み、
最近に発行された巻号からの採録開始とさせていただいております。
大変恐れ入りますが、ご了承いただきたくお願いいたします。

これは困った。最新号(2017年刊)からの採録開始ということでは、過去数十年分の論文の検索は結局できないままである。ひょっとすると私の方がこの文面の意味を誤解しているのかもしれない、と思い再度問い合わせてみたが、やはり「最新号とそれ以降に刊行された巻号のみを再録するという方針」とのことだった。

 

最終的に、この方針の通りの結果になった。『社会学史研究』は5月末に国会図書館採録誌に追加され、ほどなくCiNii Articlesでも2017年号の論文が検索可能になったが、2016年以前の論文は検索できないままとなった。

ウェブサイトに書かれている採録基準からすれば、「『社会学史研究』を追加した」のではなく「『社会学史研究』が採録誌から漏れていたのを修正した」というのが実情であるはずだ。にもかかわらず、「以前の巻号は再録しない」という方針のようである。納得いかない思いであるとともに、個人で働きかけてできることの限界を感じた。